■四半世紀前に「超入門」の登山講座を始めたとき、靴も最初は登山用品店で買わないで「履き慣れた運動靴」で参加してくださいとお願いしました。「登山靴」というもの自体がかなり高価な上、初めてそれを買うとなると、求めるものと違うものを推薦されるという疑いが大きかったのです。
■たとえば、真冬の北八ヶ岳で小屋どまりのスノーハイクに行くとして、参加者のひとりが有名登山用品店に行って、5万円の革靴を買わされてきたのです。私はスノーシューズを指示したのですが、雪の北八ヶ岳に出かけるという超初心者に、行動内容を知った上でそれを売るということは店として責任をとれるものではなかったでしょう、ですね。でも私は夏冬一張羅の運動靴(トレーニングシューズ)で雪遊びをしてきたのです。それのできる場所として北八ヶ岳を選んでいたのです。
■だから私は最初の「持ちもの欄」に「履き慣れていて、汚れてもよく、跳んだりはねたりできる靴」としてきたのです。そしてそれが、現在まで登山コーチという大それた名前で仕事してきた最大のきっかけでした。……というのは、私の言葉どおりに「運動靴」できた人と、軽登山靴などを履いてきた人の足さばきを見ていると、「登山靴」という顔つきに欠かせない靴底の溝、ブロックパターンが滑りやすい下り斜面でかえって滑りやすい後継姿勢をとらせてしまう、ということに気づいたのです。
■私が底の柔らかな「運動靴」をすすめたのは、下りで滑りやすい場所を選んで「つま先立ちで歩く」とか「平均台のように歩く」あるいは「バレリーナのように舞い歩く」という呪文を並べると「驚くほど滑らない」ということを一発で理解してくれる人がかならずいたのです。
■言い方を変えると、指の付け根で歩くと、見た目に絶対やばい下り坂でも、信じがたいほど滑らないのです。ところがそういう場所で滑り止めをしてくれる靴底のブロックパターンに安全祈願する人は、どうしても重心がかかと側にかかってしまうのです。まさにスキーの初心者がへっぴり腰になって、積極的に転倒姿勢になるように、「アタマが体を護ろうとして」転びたくないのに転んでしまう、という必然を見せてくれるのです。
■その、アタマの指導力の失格を「安全を守ってくれる登山靴」が後押ししてくれてしまう、ということを確信してしまったのです。頂上をいかに攻略するかという登山技術より、登山道をいかに合理的に歩けばいいのかという自分の体の問題として考えるいいチャンスだと気づいて、超初心者向けの山歩き講座にどんどん気合が入ってしまったのです。