■私が初めて「貼るカイロ」を本格的に使ったのは1992年1月7-9日、秩父・武甲山の裏側にある橋立川の源流でした。当時、私はテレビ朝日の深夜番組「プレ・ステージ」に小さなコラム番組を持っていて、いろいろなアホ実験をやっていたのですが、そのひとつに「ゴミ袋キャンプ」があったのです。その後社会情勢が変わって上野駅に段ボールハウスが林立するようになりますが、私がゴミ袋で雨具を作り、必要ならビバークもできるということの意味を伝えようとしていたのは、ホームキャンピングのブームの中で「ヘビーデユーティ」信仰へのアンチテーゼとしてでした。
■それがどうして「貼るカイロ」なのかというと、夏バージョンの続きを真冬の山の中でやろうということになったのです。体験するのはもちろん私と、女優のタマゴさん、とデズニーランドのバイトに人生を賭けているという女子大生2人、裏方ではこのシリーズに出世を賭けていたアシスタント・ディレクターの栗田郁也さん。さすがに雪が積もっていてもおかしくない時期であり、場所なので、どうするか……。私は農業用シートでインディアンのテント(ティピー)を作り、貼るカイロで暖をとることにしたのです。
■その当時、使い捨てのポケットカイロは普及していましたが、貼るカイロは「低温やけどに注意!」とされて夜間に使用するときに「下着にはる」のは危険とされていたのです。そこで「貼るカイロ」の本格的な実験としたいと考えたのです。私はその頃ダイヤモンド社の「BOX」というビジュアル誌でレギュラー・ライターでしたから、そちらに載せるということで、主要なカイロメーカーから商品を提供してもらったのです。
■秩父でビニールハウスに使う農業用シートを購入して現場に向かうと恐ろしく寒かったですね。気温は0℃前後で風もなかったのですが、火の気がないと寒さが攻撃的になるんですね。若い女性3人はそれに心細さが加わっていたはずです。さっそく透明シートで大型テント(ティピー)を作り、まずは食事。当然、からだが温まる鍋パーティになりました。そして新聞紙を配って「紙布団」とし、カイロメーカー各社の製品群から好きなものを選んでもらって、いよいよ就寝ということになったのです。
■私とディレクターは同じ体験をしながら、異常がないかチェックしました。冷静に考えれば、テント内温度は0℃前後で無風。地面との断熱は完璧ではありませんが、肩から腰までは新聞紙でもかなり断熱できています。問題は熱源ですが、それは朝になったらわかります。……けど、その前にわかっちゃいました。なぜなら眠れないのです。持ってきた服を全部(タレントKさん6枚、女子大生Sさん8枚)着ても眠れないのです。ただ、服を5枚着た女子大生Iさん、ただひとりだけが、熟睡していたのです。
■貼るカイロが有効に働いているのは間違いないとして、一定時間が経ったとき、低温やけどになっているという恐れが当然ありました。……というわけで何度か起こして異常がないか確かめたのですが、全くないとのことでした。翌朝、彼女はまったく無事、何度も起こしたのに、良く眠れたそうなのです。そこで肌着にカイロをどのように貼ったのか再現してもらうと、いま写真で確認できるのは全部で22枚(記録では26枚となっています。足裏にも貼っていたのでしょうかね)、ベタベタと身体中に貼りつけていたのです。
■勝因はなんだったか。肌着でした。冬のロケに加えて野営、しかも常識はずれの一夜ですから、事故が起きたらけっこう厄介なことになります。絶対に最後の砦、的なところは押さえておかなくてないけないのです。そこで出演者3人には登山用品店で高価な肌着を上下支給したのです。ちなみに私は自前でしたが、ディレクターはモルモット用として同じ肌着を自分にも支給したかと思います。カメラクルーは徹夜で張りつくことはなく、少し下った林道に止めた車で待機としました。結局、常識的な貼り方をした人は皆、眠れはしたものの、寒さで何度も目が覚めるという一夜でした。ただひとり、全身カイロの女子大生ひとりが快眠を得たのです。
■登山用の肌着が肌の湿り気を積極的に排出できるようになったのは米国デュポン社が開発した「乾式オーロン」の肌着が登場してからだと思います。古くから知られていたのは、純毛の肌着だと汗で湿っても空気を繊維内に抱き抱えてくれるので冬の肌着として最高、というものでしたね。貼るカイロはJIS規格などで管理されていて最高温度が60℃前後、一定時間の平均温度が50℃ですから、乾いた布を1枚はさんでいればヤケドにはなりにくいのです。この事件? によって、私は冬の山歩きの重要な装備として「貼るカイロ」を積極的に使うようになりました。