■私が登山コーチとなる糸の会(ito-no-kai)が始まったのは1995年ですから、四半世紀前になります。東急セミナーというところでたまたま私一人で超入門の登山講座をすることになったのですが、第1期生の半分の皆さんが3か月単位のけっこうハードな講座を連続4回受講されていよいよ2年目となる直前、その講座が東急本社法務部のリスク判断から中止になったのです。いよいよ夏には北アルプスへというときでしたから、講座担当者のMさんもこちらの味方になって、講座を続けたい人のために受け皿をつくろうということになったのです。(東急電鉄法務部の名誉のために付け加えれば、講座内容が「登山」の場合、保険会社が引き受ける死亡保険は100万円とか200万円が上限で、スキーなどかなり危険性が高いと思われる野外講座の場合のように賭け金さえ増額すれば数千万円にもできるのというのとまったく違うという点が一番の問題だったそうです。担当のMさんは翌年に「関東ふれあいの道」のハイキング講座として復活させてくれました。)
■ともかく、私が全責任を負う講座となれば、どうしても全員に持ってもらいたい装備がありました。ゴアテックスの雨具……ではありません。それよりも先に、(とくに女性全員に)持ってもらうことにしたのがダブルストックでした。私が関わる登山がいかに初心者向けの山であろうが、危険な匂いがプンプンと漂ってくるのが下りでしたから。
■丹沢の檜洞丸でその典型的な危険を見てしまったのです。バスの最終便を逃すとその後が厄介なスケジュールでしたからバスの時刻を気にしながら下っていたのですが、急斜面の段差の大きな下りは女性には見るからにハードで、急がせたら転倒する人も出ると思わせる状況でした。男性の場合には腕力でカバーできる範囲が大きいのですが、女性は動きを慎重にすることでクリアしようとするので、思いっきり時間がかかります。急がせようとすると急激に危険が増大してしまいます。
■下りで安全に歩いてもらうことはかなりの程度、可能だと思いましたが、下山してからタクシーを呼べばいいという奥の手が使いにくい山の場合は、下山時刻に余裕を持たせておく必要があります。それでも登りでバテ気味になった人がいる場合には、下りはさらに危険度を増してきます。
■下りの、その危険を防ぐ方策を考えているうちに浮かんできたのがストックでした。私はそれまでベテラン登山者たちのストックさばきをあちこちで見てきました。傾斜面の谷側(下方)の手でスキーストックや杖を持って、山側の手で木の枝などを探ると、ひょいひょいとアクロバティックな行動ができます。でもそれは私の性には合いませんでした。そういうベテラン登山者はその「ひょいひょい」の延長として、歩きにくいルートの上方にどんどん新しい道を開いていく傾向があったからです。
■私はなぜか「登山道を歩かせてもらう」ということに「歩く技術」の基本を置いていて、それは登山道を保護するというようなことではなく、登山道を利用して「からだにまかせた歩き方」を維持したい、というこだわりがあったのです。「からだにまかせる」というのは、私なりの言い方で「頭にぐちゃぐちゃ命令されないように歩いて欲しい」ということでしたが、それについては別の機会に。
■参加者のひとりが持っていたLEKIというストックを借りて、足元の石を強く突いてみました。すると石突がグイッと食い込むような手応えがありました。小さな輪に見える刃先でしたが、後で調べると「超硬合金」の刃先だということで、その「切れ味」みたいなもので、標準装備と決めたのです。
■登山用品店に行ってみると、ありました。2本セットをバラして1本1万円前後でした(ネ、その当時は)。糸の会では本来の2本セットで標準装備としたのです。モンベルのストームクルーザーが2万円ほどでしたから、その前にダブルストックの2万円が糸の会の標準装備となったのです。
■私がダブルストックに期待したのは、下りの急斜面や岩っぽい大きな段差のところで深い前傾姿勢をとってもらうことでした。そのモデルは、もちろんスキーからです。急斜面のヘリに立って、いよいよスタートしようとするとき、思いっきり深い前傾姿勢をとります。それを「3歩前にストックをついて真下に1歩目、2歩目で真ん中に、そこでまた3歩前にストックをついて……」と指示したのです。そのように使ってくれるだけで、チーム全体の安全とスピードは格段に飛躍したのです。結果、四半世紀そのストックワークを使ってきた創設期のメンバーの方は、今も不安な下りでは、みごとにその姿勢を見せてくれます。
■それが、北アルプスの岩の稜線でも有効、特に下りで有効なので、私たちのチームは登りではふつうのシニアですが、下りになるとギアが一段上がるのです。たとえば2016年7月の南アルプス・赤石岳では、(私の計画の迂闊さが原因でハードになってしまいましたが)朝6時に標高1,123mの椹島の登山口から標高3,120mの赤石岳山頂の小屋までの標高差2,000mを10時間で登り、翌日は帰路のバスに間に合うように7時間半で下ったのですが、足にトラブルを起こした人はいませんでした。そのときのメンバーは(私を含めて)男性2名、女性6名で年齢は59歳〜71歳(3名)で平均年齢67歳。全員、ダブルストックのおかげだと感謝したものです。