■私が出発前の準備運動をしなくなって、何年になるでしょうか。私自身が、ではありません。私がコーチとして全員の、出発前の準備運動を「やらない」ことにしたのです。やっていたのをやめたのです。「がんばならい山歩き」などという旗を掲げていましたから、それと準備運動との整合性がうまくとれないと感じるようになったのです。
■わたしは大学の探検部出身で、登山はトレーニングとしてやらされたし、リーダーとしてもやりましたが、目指していたものではありません。1980年に「岳人」という雑誌で連載していたものが『富士山・地図を手に』(東京新聞出版局)という単行本になり、また同じ年に山と渓谷社で『地図を歩く手帳』というのが出ました。その『地図を歩く手帳』がきっかけで、朝日カルチャーセンター横浜の中高年登山講座の地図担当講師への誘いが来て、1983年から1995年まで40回の登山実技にも参加させていただきました。そのときの講師陣に顔を出してもらって朝日新聞社から出したのは(へんなタイトルになりましたが)『トレーニング不要! おじさんの登山術』(1990年)。ほんとにへんなタイトルで「トレーニング不要!」なんて思っていたのは私だけだったはずなので、共著者となったみなさんには朝日新聞社で出した本ながら「なんだ、これ?」という残念な気持ちにさせてしまったはずですよね、売れるタイトルでもなかったし。すみません。でも私はそのまま突っ走って、1998年に私の主著となる『がんばらない山歩き』(講談社)まで、まさにその呪文にこだわって、いまここで書いている「私が準備運動をしないわけ」にまで続いているのです。
■振り返ってみれば、私に大きな影響を与えた本がありました。なんとごく最近再版されましたが、マラソンのオリンピック選手・浅井えり子さんを育てた佐々木 功さん(故人)の『ゆっくり走れば速くなる』(1984年・ランナーズ社)でした。その中でいちばん重要だったのは、心臓を強く大きくして、送り出せる血液量を増やそうというトレーニングではなく、酸素を運んだ血液が、毛細血管の先で効率的に配達できるようにするために、血液をゆっくりと回して眠っている毛細血管を起こしていくのが先、という考え方。つまりトレーニングの中に「強くない運動」を「長時間続ける」工夫をすることの重要性を指摘し、スピードの追求だけでは陥りやすいバランスの崩れた走り方も矯正できる、というものでした。当時テレビなどでお決まりのシーンとされていたのは「登頂バンザイ! 頑張ってよかった」というものでしたよね。でも平地の道を時速4kmで歩き続ける運動強度で登山道を長時間歩き続ければ、心拍数が上がる余地などないのです。毛細血管がよみがえるだけでなく、精神的なリフレッシュ効果も驚くほど大きく、中程度の強度の運動を飽きずに長時間続けるという点で「がんばらない山歩き」がからだに与えてくれる恩恵がいかに大きいかを実感していたのです。
■それで準備運動なんですが、「歩きだしの30分ぐらいがつらい」というような声に応えるべくなにがしかの準備運動をしたほうがいいし、足回りのストレッチングなどはケガ予防にも効果的だと考えていたのです。でも、からだがびっくりするようなことをさせないような登山なら、ゆっくり、やさしく歩きだして、そのままゆっくりあるき続ければいいはずだ、と思ったのです。それはまた「がんばらない山歩き」の中心には、頭がからだに命令するのではなく、現場の動きはからだにまかせて、頭によけいな指図をさせないほうがいい、という「トレーニングの功罪」ともつながる問題となってきたのです。「からだにまかせた歩き方」を実現できるには「準備運動」などという上意下達の仕組みはやめるべきだ、と考えたのです。
■でも、それは気心知れた人たちのチームの場合だからできるのです。初対面の人たちでチームを組むときには「準備運動」はあいかわらず重要です。私はちゃらんぽらんなストレッチングを得意としたのですが、すると一言いいたそうな人が見えてきたりします。きっとすばらしい準備運動をやってくれる登山ツアーなどに参加している人でしょう。それから、かならず片足立ちなどでバランスを見るのですが、そうするとバランス感覚ゼロという感じの人がいたりします。いざというときにはケアする必要があるかもしれませんが、それよりみなさんひどいアンバランスなからだでこれから山に登ろうとしている現実を感じておいていただくのは、私にはマイナスではありません。そして、2人組とか3人グループでの参加者がいたら、それが見えてきたりします。ともかく、私は指導者としては正統的ではないので、陰のリーダーがどこかにいたら、その人が発する考え方のほうが「正しい」という場面も多いはずです。……とそういうことごとをひとつでも、ふたつでも見つけておければ安心、という意味で、出発前の「準備運動」には大きな価値があると思っています。ですから、糸の会が何百回(ですほんとうに)というつきあいの、閉鎖的な集団になってくると、私にはみんなでやる「準備運動」なんてまったく必要を感じなくなってきたのです。要はゆっくり歩き始めてからだを温めればいいのです。「迫力満点」の場面に一気に飛び込んでいくような「一般登山道」はほとんどないのですから。