★登山靴のソールについて
■私が登山用の靴を最初に買ったのは、1965年だったでしょうか。前の東京オリンピックのすぐ後でした。大学に入って探検部というクラブに入ったら「とりあえず準備しろ」といわれて、「二尺四寸のキスリングザック」とユニホームとなっていた綿のカッターシャツ、それから指定の靴屋で「月賦」の登山靴。この3点セットが新入生の入部条件でした。その「3点セットを買っちまったから辞められなかった」というのが2年上の、後に船戸与一という名前で直木賞をとるHさんでしたね。
■「月賦」の効く登山靴というのはもちろんオーダーメイド。高校のワンゲル部員も来ていたから安かったんでしょうね。当時はまだ登山靴というのは軍靴の底に軟鉄製の鋲を打っての滑り止めに加えて(多分)靴底の補強をしたたぐいの、その延長線上にあったのだと思います。……が、さすがに鋲靴は無くなっていて、イタリア製のビブラムという名のゴム底を張ってくれたのです。ゴム底のおかげで冬山で金属鋲から体熱がどんどん奪われるというような辛さが無くなった、という人たちが周囲にいましたけれど。
■私の靴屋に限らず、そのころはビブラムの独壇場でした。といっても、入部条件の「3点セット」のひとつを、有名な格安登山用品店の格安登山靴で用意してきた仲間がいたんですね、50kgになろうかという重量ザックで知床半島の沢を登っていくと、あっという間に靴がバラバラになりました。多分ソールは同じビブラムだっただろうと思いますが、確認はしていません。まだそういう知識はありませんでした。私は自宅通いの学生でしたから、結局、その靴屋で登山靴を2足作り、スキー靴も作りました。オーダーメイドでしたが、実際にはドンピシャの靴にはならなかったのです。木型の問題だったと思うのですが、それについては後で触れたいと思います。
■「戦後」の登山ブームでは、首都圏の若者たちの場合、土曜日(半ドンでした)の夜行で出かけて、日曜日の夜か、月曜日の朝に帰るというものがスタンダードだったようです。基本的には駅から歩いて、駅まで歩くという登山でしたが、それでも奥秩父はもちろん、日本アルプスも含めて、登りやすい山なら可能だったようです。私は「山屋」ではなかったのでそのブームの中にいたわけではありませんでしたから、詳細は分かりません。ただ、その大衆登山を下支えした新しい靴の登場は知っています。「キャラバンシューズ」です。1956年のマナスル登頂、つまりわずか14峰しかない8,000m峰のひとつを日本人が世界初登頂したのです。そのとき、膨大な荷物を運びあげるために現地ポーターに支給した靴(アプローチシューズ)が、のちにキャラバン社を作る佐藤久一朗という人と藤倉ゴムによって作られた「キャラバンシューズ」だったのです。甲皮と呼ばれた部分はペラペラのナイロン布で、オリジナルソール(すなわち靴底)は貼り付けたというより合体させたという感じになっていました。惜しむらくは鋲靴の名残りの「トリコニー」という金属の歯が土踏まずのところにあって、その素材が硬いために石を踏むと滑る危険があったのですが、一体成形のために長い間そのまま放置されました。
■そんな時代だから、登山靴といえば革靴で、靴底はビブラムというのが基本でした。私は1987年に出した『初めての山歩き』(主婦と生活社)という本で、次のように書きました。
———気にいった靴は、長く履きたい。そのためには手入れが必要だが、手間をかけることはない。ブラシで簡単に水洗いして、陰干しする。乾いたらミンクオイルを少量塗っておく。重要なのは、靴底が片減りしてきたら、早めに張り替えをすることである。ビブラム・ソールは六、七千円かかるが、型崩れしないうちに張り替えていくと、足に合った状態を長く維持することができる。———
ちなみに、ですが、私は登山家として書きたかったのではありません。その前に『アウトドア事典』の話があって、上智大学探検部OBの野地耕治さんと2人で「編著者」として作ることになって、私がかなり書いたのです。苦手な釣り関係は当時フライフィッシングで脚光を浴びていた田渕義雄さんにも参加してもらいました。その第2弾として入門登山の本を書くことになったのです。そこで「張り替えのきく登山靴」の寿命延長策という意味で書いたのです。今の靴でもほぼ同様のの、ていねいな「はきつぶし」ができるかもしれない……と思う人がいらっしゃるかと思いますが、私の答えは「ノー」ですね。
■私は登山講座としての富士山を何度かやっていますが、その度に複数人、靴底をペロンと剥がしてしまう人が出ていました。燕岳から表銀座と呼ばれるルートで槍ヶ岳に登ったときも直前の大槍山荘のところでソールをペロンと剥がしてしまった人がいました。いまの登山靴は多くの運動靴と同じように、ミッドソールと呼ばれるクッション素材が、硬い靴底と本体(アッパー)との間にあるのです。それが加水分解するので、数年(メーカーによると5年)でスカスカになってしまうのです。最悪なのはあまり履かないので靴箱に入れておいた「新品同様」の登山靴を富士山だったり槍ヶ岳だったりにあえて履いてきたりすると、指がズブッ!と潜り込むようなグズグズ状態になっていたりするのです。ですから登山道に靴底が1枚ペロンと捨てられているのを見ると、糊が剥がれたみたいに見えるはずです。そのためテーピングテープで靴を巻いたり、ロープや針金で縛ったりして窮地を脱出しないといけないことになるわけです。私は基本的にランニングシューズですから2年ぐらい履くとミッドソールがスカスカになって横から指を突っ込める状態になりますが、全体が柔らかいので、ソールがパッカンと剥がれるというふうにはなりません。ひどいグズグズになりますけれど。
■つまり、ほんの数年でグズグズになるミッドソールを採用しているということは、昔、登山靴が「一生もの」に感じられたのとは全く違う道具だということです。それは高級なスキー靴が、素材のプラスチックが劣化して、突然パッカンとバラバラになるというのと似ています。いまや高価な道具の価値の中に「長持ち」という要素はないと考えるべきなんだと思います。もちろん「修理」というエクスキュースは用意されているだろうと思いますが、。
■さて、キャラバンシューズは正直に言って、高級な感じはしませんでした。そこに登場したのがイタリアのザンバランとドイツのローバーでした。どちらも比較的柔らかな甲皮に軽量のオリジナルソールをつけて、(重要なのは)平地を楽に歩けるしなやかさと、軽く走れる機能製も備え、その軽快さをデザインとしても主張していました。ザンバランは男性、ローバーは女性の軽登山靴として一世を風靡したといえるでしょう。そしてそういうファッショナブルな「軽登山靴」が登山用品店の棚を広げていって現在に至っているといえると思います。
■実はその、軽登山靴の百花繚乱時代に、私は私流の登山コーチングシステムとして「糸の会」を始めたのですが、靴が足に合わないといって、ひどい人は同時期に5足も買わされたりしていました。登山用品店のひどい商法があったのです。
■ここで私の最初の靴に戻りますが、その店で2足目の登山靴を作り、スキー靴も作りました。もちろんその度にきちんと図面を作ってオーダーメードだったわけですが、スポーツ選手とは比べものにならない大雑把な履き方でしたが、最後までピッタリ感というか、不満なし感というか、注文靴という感じがしなかったのです。靴屋の親父さんとも話し合ってみましたが、最後の結論はたぶん「木型が合わなかった」ということでした。オーダーメイドとはいえ、何種類もの木型を用意して作るというレベルの高級店ではなかったということのようです。細部の調整は靴下でやってくれ、というような(学生相手の)店だったということのようです。……そのとき、できればもっといい店でもう1足作っていれば、もうすこし注文靴について書けることがあったのでしょうが、書けません。私は脱登山靴派として、対極にある「運動靴」をすすめることに軸足を移してしまったからです。
■でも私と一緒に山歩きをする皆さんが「運動靴」になるまでにはまだ何年かかかりますし、当時は皆さんに外部の「登山ツアー」にも参加することを勧めていたので「運動靴」で参加すると、そのガイドさんはもとより、ツアーコンダクターからも「叱られた」という人が出てきました。「山を舐めるんじゃない」などと吊し上げられたという報告もありました。皆さんまずは「登山靴」を買わなければならなかったのです。で、問題はそういう人のための登山靴の方にもありました。軽登山靴がおしゃれになって、街歩きもできる感じになってきたのですが、登山用品店では「薄い靴下1枚で履きましょう」というのが新しい売り方になったのです。軽くて柔らかい登山靴だとしてもそれは私に言わせれば常識はずれの売り方でした。なかには良心的に「左右別サイズでも用意できます」と宣言していた店もありました……といえばお分かりでしょうが、ふつう、人間の足は左右でサイズが違うし、1日のうち朝と夕方でもサイズが変化する、といわれますよね。軽登山靴とはいえ、がっしりと足を包むブーツの既製品を左右同サイズで「薄い靴下1枚で」というのは乱暴な売り方としか言いようがないのです。その非難を避けるためにプロが考え出したのは「あなたにあう木型のメーカーはこれ!」だったようです。靴売り場のプロが多くのメーカーの中から「あなたの足にぴったり合った木型(すなわちメーカー)の靴を探します」というのは素人の手の及ばないありがたいサービスです。その手法で有名だった靴えらびの天才販売員の部下だったという人の話を聞いたことがありますが、売った靴のクレームを処理するために使ったのはインソールだったといいます。スポーツ選手なども靴と足のフィッティングに使っているインソールの機能を使えば足のアタリだけでなく、重心の管理までできるからです。登山靴はそういう意味でどんどんスポーツシューズになっていったように私には見えました。
■私が山歩きに運動靴をすすめるようになった最初は、1994年に突如、東急セミナーBEというところで入門編の登山講座を提案された時からです。すでに1983年から朝日カルチャーセンター横浜で行われていた講座は半年ごとのイベントで40回に近づいていましたが、それは有名登山家(長谷川恒夫、大宮求、根岸知、大蔵喜福、中山茂樹さんなど)をメインの登山講師として迎え、それを山岳気象専門家、山岳救急法専門家、山岳写真家、と地図専門家?(すなわち私)という構成で、実技は基本的に1泊でしたから、山を知らない私は(講師という自由な立場でかつタダで)有名どころの山を歩かせてもらいました。……で運動靴ですが、登山家の皆さんは「万全の道具」と「しっかりした技術」を伝えるのが基本なんですよね。「適当な技術」や「適当な道具」を教えるという立場にはないんです。そのことを私はずいぶん学ばせていただきました。ですから、逆に、探検部的発想で「はだかの体験」に近いものを講座化してみたいと思ったのです。
■東急セミナーBEでの登山教室は、振り返ればクレージーなものでした。カルチャーセンターというものの仕組みが分からないまま半年間のプランを提出したのですが、毎月ひとつの山に登って、その手前で技術講座、終わってからまとめの講座というセットにしたのです。毎月ごとの「読切」で考えていたのですが、参加者は受講料を3か月単位で払い込み、講座予定が半年ごとに発表されていることから、多くの皆さんが半年間通して6つの山と、12回の講座に参加するということになったのです。つまり「技術講座」が6本、それをフォローする「補助講座」が6本必要だとわかって、ドキッとしたのです。
■中高年登山ブームの最中でしたから当然講座の開設時は「満員御礼」状態でした。それはまあ、なんとかなったとして、半年後に次の講座を募集する段になっても基本的に同じパターンにしたのです。あくまでも「超入門編」ということで。で募集したところ、およそ半分の人たちが継続受講者となったのです。ひと月でも完結する講座を6回繰り返すので精一杯だったのに、その6回を体験した人が、さらに6回受講してくれるらしい、とわかって、ゾッとしたのです。しょうがないので、あくまでも初受講の人を対象としながら、単純な繰り返しにはしたくないということで、けっこう努力したのです。
■おかげでそれが私の主著となる『がんばらない山歩き」(1998年・講談社)の下原稿となったのですが、たまたま2年目に入ろうとするときに、今度は東急電鉄本社の法務部から山岳保険に関する補償条件に問題があるという理由で、突然、取り潰しとなったのです。講座担当者と相談の末、2年目となる講座受講希望者に予告していた「2年目には北アルプスのお花畑」を実施すべく、私自身の登山講座「糸の会(ito-no-kai)」を発足させたのです。
■「夏の北アルプス」といっても、もちろんただの「入門編」では済まされない危機管理が求められます。天候などの環境変化に対応するためには(当時は)「ゴアテックスの雨具」が必須でした。しかし靴に関しては私が主張する「運動靴」でいいのかどうか、未解決の部分がありました。正直にいえばまだ私には迷いがあって、登山用品店で「登山靴」を購入した人たちの事例をできるだけ観察するようにしていました。同時に、あまり心配性でない人たちが「運動靴」で参加してくれているその機会に、岩場や滑りそうな急斜面の下りなどで歩き方を指導したりして、本当に「運動靴」でいいのかどうか、をそれなりに見極めようとしたのです。
■登山靴か運動靴かという選択に関しては、技術的に大きな違いがありました。バランスのとり方です。登山靴は滑りにくい(とされる)ゴム底に深い溝を掘って、オフロード用の車のタイヤみたいな顔つきをしています。ですからその靴底全体を斜面にフラットに置きたいと考えます。そういう深い溝で滑り止め効果をあげることのできない「運動靴」ではどうするのか?「爪先立ち」をすればいいのです。私は、私の指示を疑うことなく努力してくれる皆さんに「バレリーナになった気分で」とか「平均台を歩く感じで」など、「爪先立ち」を繰り返し指示したのです。急な下りで、表土が滑りそうだったり、小さな石粒がザラザラと滑りそうな場所を選んで、「爪先立ち」で歩いてみてもらったのです。
■爪先立ちで急斜面を下ろうとすると、設置面積が小さいので絶対に滑る、と目には見えます。しかし(もちろん程度の差はありますが)思い切って「爪先立ち」できた瞬間に「滑らない」という感覚をゲットすることができるのです。なぜか? 重心が(かなり厳密に)指の付け根あたりにあるからです。ともかく目には怖い急斜面ですから、もちろん滑らない、とはいえません。でも経験則では思いもよらなかった安定を得られるのです。極端にいえばヒラヒラと下れるのです。
■それに対して靴底全体の「フリクション」をイメージして、斜面にフラットに立とうとするとどうなるか? 言い方が微妙になるのですが、頭が「フラット」と考える範囲では、まず間違いなく、カカト側に重心があるんですね。初めてスキーを履いた人が緩やかな斜面を下るだけでも、10人が10人、ヘッピリ腰になって真後ろに転びます。「爪先に重心をかける」というぐらいにしないと重心は後ろに下がってしまうのです。つまり頭は司令官としてはかなりヘボなんです。体に対してかなり乱暴な命令を出している。超初心者の皆さんと不整地としての登山道を歩くと感じるんですね。だからヘボな頭にあえて「前傾」などという極端な命令を出させるわけです。そこで私が発見したのは「跳んだり跳ねたりできる運動靴で爪先歩きしてみましょう」というのが、重心管理に驚くほど有効だということでした。目で見た状況判断より自分の身体のクリア能力の方が上だという発見です。
■机上の空論に聞こえるかもしれませんが、下りで靴底のフリクションに頼っている人は愚かなミスをしている、と私には見えてきます。「斜め前方」に下るのが下り斜面の歩き方だと思っているんですね。それこそ斜面の歩き方の基本中の基本なのですが、斜め下に向かって歩くのではないのです。「体を垂直に下ろしていく」気持ちなんです。斜面の傾斜角にもよりますが、滑り台ではありませんから、小さな凹凸や、岩の出っ張り、流水の道筋など足掛かりがたくさん見えてきます。その一点を探し出して、できる限り重心を垂直に下ろしていく努力をするのです。ストックの使い方を加えると下りの能力は飛躍しますが、ここでいう「爪先歩き」がそこでも中心技術になります。下り斜面の小さな凹凸を見ながら、腰を真下に下げながら爪先でその滑り止め効果のありそうな一点を抑えていく、……という動きを、うまく体験できる場面を探すのです。いったんその感触がつかめれば、下りでの自分の能力が飛躍したことがわかるはずです。「3歩先」まで観察して、1歩目は(できる限り)垂直に重心を落とし、2歩目で体勢を立て直して、3歩目が難しそうならそれを次の「1歩目」とするのです。ちなみにストックを使うと下り斜面での安全性とスピードが飛躍します。
■最近の「軽登山靴」や「トレッキングシューズ」はどんどん軽く、しなやかになっていますから、一応、軽く跳んだり、走ったりできるかと思います。私が最初に体験したのは、平らな道に出たら靴紐を緩めてドタドタと歩いた(スキー靴は今もそうでしょうね)ドタ靴でした。ヒマラヤ登山に出かけた仲間などは山を下りたら、あとはビーチサンダル?(古いですね)だった、とか。また別の友人は「南アルプス縦走を3日でやる」などというトレイルランニングのハシリをやっていましたが、靴は結局ランニングシューズになったといっていましたね。一時期、ナイキが冬のシーズンに入るころ、ゴアテックス防水のランニングシューズを発売するようになりました。季節商品で、ランニングシューズ売り場では継子扱いされていた時代なので、わたしたちは手分けして探しだして買い集めたことが何年かありました。
■最終的に私は、日本のスポーツ少年たちがトレーニングシューズとして履きつぶす「運動靴」を、アシックスやミズノが真剣につくっていると感じるようになり、新品で8,000円前後のものを夏冬通して履きつぶすようになって現在に至っています。最盛期には年間150日以上「運動靴1足」で通していました。
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