■私は登山時の責任者として、クマ撃退用のスプレーと、スズメバチに効くというスプレーを常備しています。……ですが、ほとんど1年中、ザックの底に入れっぱなしですから、いざというときの初期対応に活用できるかどうかはわかりません。
■長いこと私は登山中にクマの姿を見られたら「幸運」だと考えてきました。ただその結論からいうと、糸の会創設の1995年以来、ツキノワグマをチラリと見たのは2回だけです。
■一度は尾瀬の至仏山から湯の小屋温泉へと下るとき、ほとんどその最終段階で、登山道が曲がった先にクマさんが座り込んでいたのです。「いた!」と思った瞬間にあちらがくるっと向きを変えてトコトコと逃げて行ったので、後ろに連なる皆さんに「クマがいた」と知らせたときには姿も影もなく、「ウソじゃない」と証明するために登山道に残ったわずかな痕跡を「これ!」と示しました。が、信じてもらえたかどうか。
■もう一回の幸運は、中禅寺湖の奥にちょこんと聳える高山(1,667m)で、竜頭の滝から登って、戦場ヶ原側の斜面をトラバース気味に進み、いよいよ稜線に向かう急登になるというところにクマさんがいたのです。かつて中禅寺湖の外国人別荘族が昭和2年(1927)に奥日光に建てたクラブハウス(東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部)の小屋番として地元住民として初めて越冬生活をするようになった伊藤乙次郎さんによると、もともと中禅寺湖周辺に熊はいなかったとのことです。が、21世紀にもなると、中禅寺湖畔のキャンプ場のゴミ箱がクマに荒らされるようになっていたのです。……なので私は高山ではいつも「クマさんと出会えればいいな」と小さな期待を抱いて目を凝らしていたのです。
■その時はちょうど、トラバース気味の登山道が小さな尾根を越えるところだったので、見上げた前方、私たちが登っていく道のテッペンという風に見えるところに座っていたのです。私はすぐに止まって、十何人かいた皆さんに「クマがいる」という信号を送ったので最後尾に人にはあいまいだったかもしれませんが、ほとんどの人が、黒いかたまりがノソノソと動く姿を見ることができました。
■クマとの遭遇はその程度しかないのですが、ごく最近、クマよけのスプレーを持つようになったのです。それはそれとしてクマよけの鈴は、私のチームでは使用禁止です。北海道でも大雪山縦走やトムラウシでは鈴の持参はすすめましたが、使用したことはありません。あんなものをクマさんのいないところでチロンチロン鳴らして、山を親しむとはどういうことなのでしょうか。クマさんがいない大自然の中で「クマさんが怖いよう!」と叫びながら歩いているなんて……。
■でも「もし万が一、クマと遭遇したら、あなたは一体どういう責任をとるのか?」という人がいるだろうと思うのですが、もしクマと遭遇して、誰かが怪我をするというような事故が起きたら、おそらく死亡事故を起こしたのと同様の責任を取ることになるだろうと覚悟はしていました。でも当時、登山道で登山者がクマと遭遇して怪我をしたという事例はほとんどなかったのです。あちらが先に気づいていればまずはあちらが逃げるからです(最近の「新世代クマ」のことはここでは考えていません)。だからむしろ登山者が登山道でクマを見たかったら、そのつもりで先へ、先へと、偵察の目配りをしていなければなりません。ただ、そういう気持ちがあれば、遥か遠くにクマの姿を見つけるチャンスは確率を高めるだろうと思うのです。日本アルプスの稜線では、だから足元の斜面にも目を配らせる必要があります。
■といっても、ヒグマのいる北海道では無茶だろうという人が多いのではないでしょうか。でも私は、結局、皆さんに鈴を鳴らしてもらったことはありません。もちろん、ヒグマはツキノワグマとは違って、人を襲うことのある野生動物です。私の大学時代には福岡大学ワンゲル部の学生が日高山脈でヒグマに襲われて3人死亡したというショッキングな事件がありましたが、それは「ザック」という獲物をめぐってのクマと人間との争いが断続的に3日間続いた結果とレポートされています。当時私たちは毎年のように夏に知床半島のブッシュの中を歩いていましたから、自分たちの問題でもあると感じて詳しく調べました。彼らはクマに奪われた自分たちのザックを取りに戻ったのです。その時ザックは(たぶん)ヒグマの戦利品になっていたでしょうから、ヒグマが彼ら人間を「敵」だと思ったのは当然として、「エサ」だと見て襲ったかどうかは不明です。
■私が大雪山縦走やトムラウシに登山講座の皆さんをお連れしたときには、もちろん「ヒグマの会」(旧・北大ヒグマ研究会)が発表するヒグマ情報を調べていました。自分たちの行動領域に、ヒグマが「いる」か「いるかもしれない」かでは大きく違いますし、その「いるかもしれない」ヒグマが「登山道に出てくるかもしれない」ということになると、私の判断は現場感覚に任せるしかなく「獣臭がする」か「フンがある」とした瞬間に「クマがいる」と判断することにしていました。じつは私は学生時代、夏の知床のハイマツ帯に2回、合計2か月以上入っていましたが、クマの臭いを嗅いだのは1回だけでした。もちろん姿を見ることもなく、のべ40人ほどの仲間も、遠くにその姿を見たという以上のものはありませんでした。
■……だから「安全だと言っていいのか」という人がいるだろうと思いますが、むかし「アウトドア」にかかわる原稿を書いていた立場としては、単純に書けないところですね。そのころ友人のテレビディレクター第一作となる「ユーコン河下り」にスキッパー(船長)として参加したのですが、人口約5万のユーコン準州・州都ホワイトホースで親切にしてくれた人たちの多くは、銃の選択について多くの助言をくれました。もちろん想定は「万にひとつ」のグリズリーベア、あるいは知能的なオオカミの群れを想定してのことでした。持つとすればもちろんライフル、しかもクマ撃ちとなれば大型銃ですよね。親切な人に撃たせてもらったら、反動で弾がどっちへいくかわからない。強力な武器を持てば持つほど、できるだけ遠くで敵を倒したくなるんでしょうが、そうなると当たりませんね、100%。
■メンバーの中にはいろいろな意見があるので、とりあえず丸腰で行って、村の誰かに「銃を持て」と言われたらそこで買おう、と問題を先送り。カナダからアラスカ(米国)に入った方が、銃も買いやすいだろうし、ということで。ホワイトホースという街はほとんどがこの夏初めて来たというような南からの流れ者で膨れ上がっていて、みんな自然がけっこう怖い。野生は人間に敵対してくるもんだ、と思っているんですね。そこで土地の有名人で、北極探検家からこの地域の騎馬警察官(マウンテンポリス)となったイネステイラーさんに聞いたら、「銃なんかいらない。私の子どもたちは自分たちだけでゴムボートで下っていった」とのこと。銃のことなんか考えなさんな、という立場。ただひとつ「ボートのもやい綱をビーバーに齧られないように注意しなさい」というアドバイスをくれたのです。
■銃の問題は結局どうなったかというと、その後どの村でも銃の話はまったく出ず、ただ「ナショナル・ジオグラフィック」に川下りのレポートが売れて発行部数800万部×1円という高額な資金を得て、山小屋を建て、次の取材に取り掛かろうというキース・トゥリックとロバート・クラークという2人組と出会ったとき、留守の間にクマに入られ、内部が見事にグチャグチャにされているのを目撃しました。クマがいないのではないのです。だから彼らはライフル銃を常時携行していましたが、それは取材者としてギリギリまで接近するために必須の道具だったと思います。
■でも現地の一般常識として、クマから身を守るベストな方法は何かというと、銃身を短くしたショットガン(散弾銃)だそうで、ブッシュパイロットと呼ばれる小型飛行機のパイロットたちが常備しているというのです。不時着などして、もしクマに襲われる場面があったら、できるだけ近くに引き寄せて、顔面に向けてぶっ放す、というのだそうです。問題はその「近くに引き寄せる」ことができるかですね。「安全圏からぶち殺したい」などと考える臆病者には役立たずになるかもしれません。
■じつはその、小さな鉄の球を何十個だか、何百個だか、ブワッと吹き出す散弾銃とほとんど同じ感覚で使う合理的な防御専用の武器が、唐辛子のシャワーで顔面攻撃する「クマよけスプレー」なんですね。クマに対しては「できるだけ引き寄せて顔面攻撃」というのが最善の策ということです。動物写真家の宮崎学さんの撮影現場をテレビで見たら、クマよけスプレーは裸の状態で腰にぶら下げていましたね。クマと出会いそうな場所では、それが正解なんだと思いました。
■では鈴を鳴らすのにどうして私が反対なのかというと「鈴を鳴らせば安全」という安心感がクマに対するつもりなのに、じつは「山」とか「自然」に対する姿勢を問われてしまうんじゃないかな、ということです。さらに言えば、登山者に「鈴」を持たせたい人の目的は、想像するに多分、クマを守るためなんでしょう。もし怖がりの登山者が登山道のどこかでクマを見たら、大騒ぎになって、そのクマを探し出して捕獲するなんていう大捕物に発展しかねないのではないでしょうか。いつだったかまだ雪の季節に奥多摩の鷹ノ巣山(1,737m)に出かけたとき、下山時に熊の足跡を見つけました。私たち以外にも何人もの登山者が集まって、周囲を探しましたが、その程度では見つかりませんでした。その当時、高級リゾート地の軽井沢にクマが出没したので捕獲したクマを奥多摩に放ったという噂があって、同時にこの近くの畑で、住民がクマに襲われたりした時期です。私たちは遠くはるかにポツンと黒い塊を見つけるだけでも大感激だったのですが、それもかなわず、残念な気持ちで下山しました。が、もしそのとき見つかっていたら、そのクマも誰かに追い回されることになったかもしれません。
■ツキノワグマよりも、私はイノシシの方が登山者には危険じゃないかと思うのですが、休日にハンターと挨拶したりするような首都圏の山で、登山道わきにイノシシの仕業跡がいっぱいあるようなところでも、あるいはイノシシの名所というべき六甲山の縦走路でも、私はまだ一度もイノシシを見ていません。そこらにいないはずはないのに、と思います。クマさんはイノシシよりもっとお会いしにくい相手だと思うので、誘い出す音を奏でるならともかく「乱暴な野獣さんは来るな! 来ないで!」と言いながら歩くような姿を、人としてどう思うか、ということなのです。
■ツキノワグマと人との遭遇事件は、毎年けっこうあって、会津で地元のテレビを見たら日々のクマの出現情報などもやっていました。でもほとんどはクマが自分の土地だと思っている「草原」や「笹原」や「よく耕された畑」なんかで人間と出会うと戦争になるんです。クマさんは歩きやすい登山道を利用している可能性はあるでしょうが、そこで領土戦争が起こるというふうにはあまり考えられないのだと、私は思っています。一時期、登山者が登山道でクマに襲われた事例を探したとき、驚くほど少なかった(限りなくゼロだった)ことを思い出します。ちなみに2008年9月17日に世界的登山家の山野井泰史さんが奥多摩湖畔の山道でクマに襲われたのはトレーニング中で、かつ子連れの母グマと正面衝突。いわゆる登山とは区別すべき事例で、山道を走るトレランの人には参考になるでしょう。クマよけの鈴はクマという名の巨大な亡霊への勝手なオマージュだと私は思っています。クマさんだけでなく登山者もいない静かなところでやっていただくのはかまいませんが。